憂しと見し世ぞ

今回装丁させていただいた本、岡田哲也さんのエッセイ集「憂しと見し世ぞ」。
岡田哲也さんは鹿児島県出水市在住の詩人だが、今回は詩ではなく、子供の頃や青春期のエピソードを交えたエッセイになっている。
デザインに入るまえに必ずゲラを読ませていただくのだが、今回は仕事を忘れて楽しく読ませていただいた。私の趣味としてエッセイが好きだということもあるのだけど、特に大学時代のはなしなど、読んでいて自分の学生時代を想い出し懐かしい気持ちになった。
もちろん岡田さんと私は年代も違うし、大学も(岡田さんは東大)まるで違うのだけれど、学生時代に出会った人や体験したことが、その後の生き方に大きく影響している点は同じだな…と。

と、まだ発刊前の本について私が個人的な感想だけを書いていると、岡田さんと花乱社の編集長にお叱りを受けそうなので、以下にキチンと本のご紹介します。

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『憂しと見し世ぞ』岡田哲也 著
2011年8月8日 発刊
発行所/合同会社 花乱社 http://karansha.com/
■定価2100円/四六判/280頁/上製


1969年,村上一郎と出会う──青春期の彷徨を綴った「切実のうた 拙劣のいのち」ほか、“田舎暮らしの過客”として家族やふるさとへ寄せる想いを綴ったエッセイを集録。


村上一郎のことを思うといつも私の中で花が騒ぐ。灯のように咲く時もあれば、花吹雪のように散る時もある。だが、私はここで、村上一郎のことを書こうとして、結局自分のことしか語らなかったような気がする。
ただ私は、村上一郎から姿勢や態度のすがしさ、その大切さを感じとった。むろん文学も人生も、それだけで乗り切れるほどヤワじゃない。しかし、姿勢とはメッセージだ。
私たちはみずからを無慙無愧(むざんむき)の輩と覚えつつ、なお人に何かを届けたがり、人と何かを響き合わせたいのだ。それが衆生だ。(略)
村上一郎は、スマートに生きようとして拙劣に生きた。あるいは自分の切実さを、なるべくスマートに歌うまいとした。だが今や、見てくれのスマートさや、結果がすべてというあられもない世の中だ。なんの屈折も逆説もない。
せめて私は、いや私たちは、美しい国を与えられるよりは、楽しい国をおのがじし造ろうと思う。」---「切実のうた 拙劣のいのち」より


【著者紹介】 岡田哲也(おかだ・てつや)

1947年、鹿児島県出水市に14人兄弟姉妹の末っ子として生まれる。東京大学中退。以後、物書き、寺社などの建築デザイン、広告コピーやシナリオ書きなどで40年間を出水市で暮らす。詩集に『白南風』、『にっぽん子守唄』、『岡田哲也詩集』、『わが山川草木』など、エッセイ集に『不知火紀行』、『夢のつづき』など、物語に『川がき』三部作などがある。「本より本人の方が面白い」という風評と焼酎とともに現在も出水市在住。